東日本大震災 (58歳男性)の体験談

4.東日本大震災(58歳男性)
私が経験した災害は、東日本大震災です。それは、忘れもしない2011年(平成23年)3月11日(金)の午後2時46分ごろ、宮城県沖を震源とする、マグニチュード9.0の大地震が起き、私の住む隣県山形県にも甚大な被害をもたらしました。

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地震発生当時、私は、山形市の出張所に勤務していました。これ迄に経験したことのないほど揺れが大きく、台所の食器棚が倒れそうになったので、妻と二人で食器棚を押さえ、揺れがおさまるのを待ちました。これ迄経験したどの地震よりも長い時間揺れていたことを覚えています。

地震の後にまず困ったことは、停電になって電化製品が全く使えなくなったことです。3月とはいえ、山形市はまだ冬でした。まだまだ寒い時期に電気が使えないことは、大問題でした。
灯油はあるが、FF(強制排気)式石油ヒーターは使えません。そこで、どうしようかと考えたところ、物置に古い反射式石油ストーブがあることを思い出しました。早速、物置からストーブを出して灯油を入れて点火したところ、火がつきました。
また、停電のため、洗濯も入浴もできませんでした。仕方なく、夜寝る前に下着だけは着替えましたが、こんな生活がいつまで続くのだろうと心配でよく眠れませんでした。

車社会の今日、どこへ行くにも車が必要です。当然マイカーにガソリンが必要だったので、妻と二人で2台の車に乗り、給油を待つ長蛇の列に加わり、何時間も待ってガソリンスタンドで10リッター給油してもらいました。会社の車は、夕方の時間帯にガソリンスタンドで給油してもらえました。 その後、地震で宮城県のタンクローリーが動かないため、山形市内のガソリンスタンドは、どこにもガソリンがなくなってしまいました。

地震発生時に役に立った防災グッズは3つあります。第一に反射式石油ストーブです。旧式の反射式ストーブだったため、ストーブの上にヤカンを載せてお湯を沸かすことができました。お湯を沸かせれば、温かいお茶を飲むこともカップラーメンなども食べることができます。普段はあまり飲まないスティックコーヒーですが、甘さが疲れや不安を取り除いてくれたことをよく覚えています。

第二に乾電池式ポータブルラジオです。 普段ラジオなど聴かない妻が、ポータブルラジオを出してきて、二人で聞きました。ラジオを聴き、震源が宮城県沖でこれまでにない規模の大地震であることが分かりました。様々な地域の被害状況も分かり、今後の余震についての情報もあり、心の準備にもなりました。

第三に懐中電灯です。夜、懐中電灯なしでは何もできませんでした。茶の間、台所、トイレなど、どこに行くにも懐中電灯が必需品でした。
買い置きしていたカップ麺、缶詰、ソーセージ、インスタント味噌汁、ペットボトル入り水、お茶があったおかげで、何とかしのげました。その他生活に必要なものは、真っ暗なコンビニに行き、注文して買ってきました。

我が家は、災害など何かあったら携帯メールで連絡しあうことにしていました。この日も、息子と娘から「無事だ。家はどこも壊れなかったが、停電で電気が使えないので寒い。」というメールが届き、安心しました。翌日の夕方、出張所に持ってきていた新品の石油ストーブを自宅に届け、子供の無事を見届けました。

山形市は、移動手段がマイカーしかないので、マイカーに給油するよう連絡し合いました。仕事のため給油できなかった息子は、隣の新潟県に行けばガソリンが手に入るらしいという情報を入手し、何百キロも走り、ガソリンスタンドをはしごしてガソリンを買ってきました。
娘は、ハイブリッド車だったことと、給油して間がなかったことから急いでガソリンスタンドに行く必要がなかったようです。

今回の地震で、私たち家族は、日頃から食料・生活必需品を含む防災グッズをリュックサックなどに入れて用意しておく必要性を共有しました。 

 

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