阪神淡路大震災(35歳女性)の体験談

災害はいつどこで起こるか分かりません。多くの方が経験している災害ですが、対策などについて、ご家庭や職場の方々と共有していますか?防災意識について私の周りの友人にアンケートを取ってみました。

1. 阪神淡路大震災(35歳女性)


平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災に被災しました。当時芦屋市に在住しており、一部倒壊した43号線のすぐ近くに住んでいました。揺れが発生する少し前にザワザワとした気配を感じ、虫の知らせとでも言うのでしょうか、目を覚ました事を覚えています。


家族全員で瓦礫に埋まっていない窓から屋外へ出た後、周囲を見渡すと目に入る殆どの家が倒壊していました。早朝だった事もあり近くで火災は起こっておらず、怪我のない人達で助けを求める人の家を回って必死に瓦礫をどかしました。夢なのではないかと思いながらも、目の前の出来事を理解しようと必死でした。

その後仮設住宅へ移るまで、近くの高校の体育館で避難所生活を半年ほど過ごしました。 被災当日に避難所でおにぎりとソーセージの配給がありました。あまり非常食を常備するという意識がなかったため、被災直後は水と食料の確保に苦労しました。

阪神電車が近くに通っていたのですが、レールは蛇のように捻れていて、尼崎方面に線路上を延々歩いて無事なお店を探すことになりました。非常用グッズを用意しておけばと今になって思います。

非常用バッグ
避難所ではダンボール一枚隔てた近さで見知らぬ他人が生活しており、立ち上がれば簡単に隣の家族の生活スペースまで丸見えで、着替えや体を拭くのにも気を使いました。 急激な生活環境の変化で精神的に不安定になる人が多く、喧嘩や暴れる人こそいませんでしたが、夜に泣き出す人やパニックになる人がいました。

夜泣きなどが響くとお母さんやお父さんがそっとドアを開けて外に移動しており、小さなお子さんがいる家庭は気の毒でした。まだ寒い季節でしたが仮設トイレの匂いが辛かったです。あれが夏を迎えていたら間違いなく病気が流行っていたと思います。

自衛隊の方が簡易浴場を小学校の校庭に準備してくれたのですが、それまで一週間ほどは濡れタオルで体を拭くぐらいしか出来なかったので、着替えもろくになく清潔面で非常に辛かったです。


乾電池(懐中電灯が無いと夜は真っ暗で何も見えない)、水の要らないシャンプー、ウェットティッシュ、手巻き充電式ラジオ、ノーパンクタイヤの折りたたみ自転車などが重宝しました。

当時はまだ携帯電話が普及し始めた時代でスマートフォンは無かったのですが、今だとSNSやニュースサイトでの情報収集や情報共有は大きな助けになるのではないでしょうか。人と繋がりを持てていれば、結構気力が湧くものだと思います。

当時は不安感や寂しさが非常に苦しかったです。 また、電気・水・火の確保は本当に苦労しました。逆に言えばこれさえあれば最低限どうにでもなります。

結構早く支援物資が届き出した後は途切れることなく支援が続いたので、最初の三日間を乗り越えられる様に防災グッズを考えておくと良いと思います。

長期保存のできる水やごはんやパン、お菓子などは常に防災バッグに入れてあります。お腹を壊したりしやすかったので、正露丸やバファリンなどの常備薬もあると助かります。


避難場所の優先順位について家族で取り決めています。インフラが壊滅するクラスの災害だと本当に連絡を取り合えるようになるまで時間がかかります。

もし被災した場合は自宅から近い順に学校の体育館をチェックするように伝えてあります。小さい避難場所だと定員で身を寄せられない場合があるので、学校の体育館を目指すようにと決めました。

そして運良く避難スペースを確保できたら、なるべく移動しないこと。落ち着いたら家族内の男性が各避難所を回るように、と話し合いました。


今の時代だとSNSやアプリですぐに居場所の確認ができるとは思いますが、経験上周りが落ち着くまで避難所でじっとしているのが一番だと思います。被災直後にコンビニエンスストアのガラスを破って商品を持ち出している人間を見ましたので、最大限警戒しようと決めました。

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